2016年06月30日
お地蔵さま

私は血液の癌にかかっている。それはおよそ10万人に1~2人の割合で発症し、その原因は未だ不明。
その血液の癌の種類とは…??
私は風邪をひいたときなかなか治らず、たまたま血液検査を受けたら、写真の「国立長崎医療センター」血液内科受診を勧められ、平成19年11月『慢性骨髄性白血病』という診断が下された。
正常な人の白血球数が約5000~9000なのに対し、白血病の人の白血球数は治療前(発症後)において、時に10万を超える。
そして今の医学をしても完治させるのは、かなり難しい…そう、骨髄移植以外は…。一般的には、ただ進行を遅らせる為に抗がん剤の経口投与をされることが多い。
私もグリベックという抗がん剤を、日々飲み続けている。そう、平成19年11月から。
しかし今回の検査値に今までにない結果が出ている。
血液検査から遺伝子に異常がどれだけあるか?という、遺伝子検査があるのだが、発症後初めて「イジョウヲケンシュツセズ」という結果が出たのだ!
これには、主治医も驚いていた。
もっと驚く話しがある。隊長の御祖母様も、今から約60年ほど前に『慢性骨髄性白血病』になってしまった…。
そして病は進行し(当時何も治療法はなかった)、御祖母様はとうとう高熱を出して寝ていた時、枕元にお地蔵さまが現れ、「お前はまだ死ぬのは早い。お前に命を預けるから、出来る限りの人々を救済
しなさい。」と、告げられて目を覚ますとすっかり熱は下がっていたのである。
そしてその話しを、隊長の御祖父様に話すといたく感激した御祖父様は、毎年8月23日の地蔵盆の日にそのお地蔵さまを感謝を込めておまつりするようになった。
今もその行事は続いている。そしてそのお地蔵さまの話しを耳にした悩める人々が、全国より参拝しに来ている。
続きを読む
タグ :隊長 ナイト スピリチュアル
2016年06月12日
神道研究⑥
Q.5 徳川幕府の崩壊(明治維新)時のスローガンとは?
A.5 尊皇攘夷・王政復古・敬神・祭政一致であった。
明治になると、王政復古・祭政一致の理念のもとに神社行政が整えられていった。つまり『神仏分離』に関する法律が発せられた。
その布告が出ると、民衆の間に新政府が仏教を廃止したかのようなデマがながれた。
その背後に仏教側から抑えられていた、という鬱屈があったのかもしれないが、寺院や神宮寺の破壊、仏像や仏画の焼却、僧侶たちへの暴行などがおきた。
【廃仏毀釈運動】と言われる。
以降の神道については、また後日検討します。今のわたしではまだ理解力や説明力が不足しています。
A.5 尊皇攘夷・王政復古・敬神・祭政一致であった。
明治になると、王政復古・祭政一致の理念のもとに神社行政が整えられていった。つまり『神仏分離』に関する法律が発せられた。
その布告が出ると、民衆の間に新政府が仏教を廃止したかのようなデマがながれた。
その背後に仏教側から抑えられていた、という鬱屈があったのかもしれないが、寺院や神宮寺の破壊、仏像や仏画の焼却、僧侶たちへの暴行などがおきた。
【廃仏毀釈運動】と言われる。
以降の神道については、また後日検討します。今のわたしではまだ理解力や説明力が不足しています。
タグ :ナイト
2016年06月10日
神道研究⑤
Q.5 天照大神や八幡大神は、本地垂迹説では何と説明されたか?
A.5
天照大神の本来の姿は「大日如来」
八幡大神の本来の姿は「観世音菩薩」
と、説明された。仏の方が神より格上という思想であった。これは、明治時代まで続く。
A.5
天照大神の本来の姿は「大日如来」
八幡大神の本来の姿は「観世音菩薩」
と、説明された。仏の方が神より格上という思想であった。これは、明治時代まで続く。
タグ :ナイト
2016年06月10日
神道研究④
A.4 本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)とは?
仏教伝来して間もないころは、『神道の神が仏法を喜んでいた』という関係から、そのうち関係が逆転してとうとう『神道の神が、仏から菩薩号を受ける』という事態になった。また神の名に『権現』号をつけるようにもなった。
これが、平安時代中期に「本地垂迹説」として、確立する。
Q.4 すなわち、日本の神々というのは元をただせば、仏が人々を救う為に現れた仮の姿であったという思想のことである。
仏教伝来して間もないころは、『神道の神が仏法を喜んでいた』という関係から、そのうち関係が逆転してとうとう『神道の神が、仏から菩薩号を受ける』という事態になった。また神の名に『権現』号をつけるようにもなった。
これが、平安時代中期に「本地垂迹説」として、確立する。
Q.4 すなわち、日本の神々というのは元をただせば、仏が人々を救う為に現れた仮の姿であったという思想のことである。
タグ :ナイト
2016年06月10日
神道研究③
Q.3 神道は古来からの日本の宗教だった。だが、最初から【神道】という言葉が使われていたわけではなく、「日本書紀」からである。何故か?
A.3 仏教が伝来してきたからである。
最初は対立していた、仏教と神道だが、次第に混じりあってくる。これを神仏混淆という。
神宮寺といい、神社の境内に奈良時代末から、たくさん建てられていった。
しかし、平安時代になるとその姿が変容していく。
A.3 仏教が伝来してきたからである。
最初は対立していた、仏教と神道だが、次第に混じりあってくる。これを神仏混淆という。
神宮寺といい、神社の境内に奈良時代末から、たくさん建てられていった。
しかし、平安時代になるとその姿が変容していく。
タグ :ナイト
2016年06月10日
神道研究②
Q.2 神道は宗教か?
A.2 一般的な宗教の概念や、西洋の宗教の定義にも当てはまらない。神道には教義、教典、教祖がなく布教もしないからである。
しかし、神道においてはその「信仰」自体が神道を作ってきた…。例えば、祓い‥祀り(祭)‥豊作への感謝‥といった、日本人が普通にやっていることが、神道の信仰の主体となっているからである。
A.2 一般的な宗教の概念や、西洋の宗教の定義にも当てはまらない。神道には教義、教典、教祖がなく布教もしないからである。
しかし、神道においてはその「信仰」自体が神道を作ってきた…。例えば、祓い‥祀り(祭)‥豊作への感謝‥といった、日本人が普通にやっていることが、神道の信仰の主体となっているからである。
タグ :ナイト
2016年06月10日
神道研究①
Q.1 神道とは何か?神道に教義は存在するか?
A.1 神道には教義は存在しない。神道とは古代に人々の生活と共に発生した信仰が発展したものであり、いまだに教義や教典はない(過去に存在したものが隠され、まだ発見されていない訳でなく、最初から存在しない)
A.1 神道には教義は存在しない。神道とは古代に人々の生活と共に発生した信仰が発展したものであり、いまだに教義や教典はない(過去に存在したものが隠され、まだ発見されていない訳でなく、最初から存在しない)
2016年06月04日
初めてのオーラソーマ体験

オーラソーマというカラーセラピーを受けました。
オーラソーマとは?
http://d.hatena.ne.jp/keywordtouch/%A5%AA%A1%BC%A5%E9%A5%BD%A1%BC%A5%DE
【1983年、イギリスの女性ヴィッキー・ウォールによって創始された、カラーセラピーの手法の一つ。日本では、1995年頃から一般的に利用されるようになった。
上下2層に分かれた100本以上※のカラーボトルの中から直感で4本を選び、そのボトルから、心理状態、才能、未来の可能性などを知る手法。人間界(色彩)・植物界・鉱物界の3つの要素を持っている。
現在オーラソーマは、個人の意識の進化と個性を引き出す色彩を超えたツールとして位置づけられ、ボトルのほか様々なプロダクツとともに「カラーケアシステム」と呼ばれ、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアをはじめ世界各国に広まっている。
※2006年3月8日現在、全106本。最新のボトルは B105コーラル/コーラル「大天使アズラエル」
カラーボトル
正式名称は「イクイリブリアムボトル」
ボトル1つ1つに名前とナンバーが付され、それぞれに色彩を超えた特徴的な意味があり、カバラ、数秘術、タロット、占星術、易学などと関連付けられている。ボトルの中身は、上層が油分、下層が水分で、バイオダイナミック農法により栽培された植物のエッセンシャルオイルやハーブの抽出液、鉱物とその波動、自然の色が含まれる。
ボトルの上層部は顕在意識を、下層部は潜在意識を表している。
選んだ4本のボトルが持つ意味
<1本目> 魂のボトル 人生の目的や使命を表す。
<2本目> ギフトのボトル 魂が取り組む準備ができた課題。学びはギフトとなり才能へと開花する。
<3本目> 今ここのボトル 人生において今現在どのような地点にいるかを表す。
<4本目> 未来のボトル 未来の可能性。今すぐ手にすることができるエネルギー。】
確かに当たってるなあ~。最後の苦味を甘味に…というのは、オリーブを指しているそうで。
また私は今から脱皮して、新たな何かを求めている、或いは新しくなるそうです。
う~ん。参りました。
タグ :ナイト スピリチュアル
2016年06月03日
あれから25年…

43人が犠牲となった1991年の雲仙・普賢岳(長崎県)の大火砕流から、3日で25年を迎える。被災地の同県島原市は毎年この日を「いのりの日」としており、四半世紀となる今年は、市主催の追悼式をはじめ、市内各地で鎮魂の祈りがささげられる。
普賢岳は90年11月に噴火を始めた。翌年の大火砕流では麓にあった北上木場農業研修所で警戒に当たっていた消防団員が犠牲となり、取材者が陣取った「定点」と呼ばれる場所の周辺では、報道関係者やフランス人火山学者の夫婦も亡くなった。93年6月の大火砕流でも1人が犠牲となった。
=2016/06/01付 西日本新聞朝刊=

島原復興アリーナです。祈りの日である6月3日に献花台が設けられました。私も献花して、火砕流などで亡くなった方々を悼みました。
島原市では大火砕流の起きた16時8分にサイレンが吹鳴され、1分間の黙祷の時がもたれました。

今夜は同じ敷地内にある、雲仙岳災害記念館の入り口前で手作り蝋燭に灯がともされ、犠牲者の霊を慰める予定です。
タグ :ナイト