2017年10月15日
幽霊を怖いと思う気持ち?って

先日「真夜中過ぎのエレベーター♪怖っ」という題名で、記事を書いたのだがその最後らへんに書いてるとおり、私は「幽霊を怖いと思った」ことについて隊長より指導というか、叱責されたのである。
隊長「お化けが怖いとは?神様がいるんだから怖いはずないだろ?」
いや、神様がいるのは分かってますけど幽霊って、普通の人は怖いと思うんじゃ…。
隊長「んじゃ、神様がいるって思う時はいつだ?」
えー、参拝するときとか願い事が叶った時とか。後は何となくおられるのも分かります。
隊長「なら何で怖いんだ?神さまが護って下さるから怖い訳ないよな?」
…すみません、私の信心のしようが足りなかったです。
隊長「信心って何のことだ?」
神さまを信じる心です。
隊長「信心とは、神さまと一対一の関係を言うんだ。
一対一ではないときは、信仰と言うんだ。」
なるほど!だから神社とかは信仰対象って言うんだ!確かに、信心対象とは言わないよなあ。
隊長「お前さんは信心を持ち合わせているのに、何故お化けが怖いんだ?神さまがバックについてるから怖くないはずだがね。」
全くその通りです。
こうして隊長からトクトクと説明、叱責されて出た結論というのは、「神さまに護られている以上、幽霊などは怖がる必要は無い。だがそれかと言って、慢心してもいけない。」ということです。
因みに祓うことも大事だけれど、もうワンランク上の「霊に対してあなたはここにいてはいけないから、ゆくべきところに行きなさい。」と、祈りを加える事が今後の課題になりました。
2017年10月12日
真夜中すぎのエレベーター♪怖っ!

とある総合病院から、夜帰るときの話しです。私は一人でエレベーターが来るのを九階で待っていました。
その病院にはエレベーターが三台あり、私の待っていたエレベーターの隣のエレベーターが来ました。
そこで普通ならピンポーンと合図が鳴るのですが、何故か鳴りません。
そして次の瞬間そのエレベーターの扉は、スーッと開いたのです。エッと思って目を向けるとその中には無人で真っ暗な空間が…。
こっ怖い~!!誰も乗っていないばかりか、その電気すら消えてるってどうなってるの??普通点検作業ならば九階じゃしないでしょ??
そして翌日、隊長に言われた言葉。「お前連れてきてたな」
エーーーッ!!早く祓って!!!!!
すると「とっくの昔に祓ってるよ」とニッコリ笑う隊長。流石です!
しかし私はその後、祓いと信心についてトクトクと隊長から指導されることになりました。その内容はまた別の機会に~。
2016年07月20日
入院中の夜~怖いです~
怖い話しを一つ。オマケ有り。
私が入院している病院は救急指定病院なので、結構部屋の入れ替わりがある。(つまりお亡くなりになる方が…)
だからといってではないが、夜になるとピシッ、パシッとウルサい。
私もかなり慣れてきたので、ピシパシ音はそう怖くないのだが、この間、かなり怖い思いをした。
ここでは、一時間~一時間半の間に一度、看護師さんが異変がないか巡回されている。
年寄りである私は、その看護師さんの足音(かなり忍ばせてます)でさえ起きてしまうので、困っていた。
そして、とうとうある日、ちょ~ぜつ怖い思いをした。
いつものごとく看護師さんの忍び足が、部屋に入るのが分かったのだが、なかなか外に出て行ってくれない。
寝たふりがバレているのか?と思ったが、そのまま私はピクリとも動かず、必死に寝たふりしていた。
すると今度は足音無しに、わたしの腰のあたりを五本指でさわっている感触がする。そのうち上半身だけ金縛りにあった。
間違いない、これは看護師さんじゃない。
私はナント鈍いのだろうか?しかし触っているのは生きている人間じゃない!さすがにそれが分かると怖い!!
思わず地蔵真言を、開かない口を必死に動かして三回繰り返し唱えた。
金縛りは解け、辺りを怖々と見渡すとそこには誰もいなかった。
オマケ。
この話を隊長にしたら、「そのオバケにもっと腰をもんでもらったら良かったのに。」「途中でやめるな。もっともまんかい!」と笑っていた。
その上、「お前さんがいる階に大型トラックが突っ込んだらどうする?ISISだぜ?」「しかも非常階段を登ってきたら?」
隊長、シュールすぎてついていけません。というか、私を心配してくれないの?!
私が入院している病院は救急指定病院なので、結構部屋の入れ替わりがある。(つまりお亡くなりになる方が…)
だからといってではないが、夜になるとピシッ、パシッとウルサい。
私もかなり慣れてきたので、ピシパシ音はそう怖くないのだが、この間、かなり怖い思いをした。
ここでは、一時間~一時間半の間に一度、看護師さんが異変がないか巡回されている。
年寄りである私は、その看護師さんの足音(かなり忍ばせてます)でさえ起きてしまうので、困っていた。
そして、とうとうある日、ちょ~ぜつ怖い思いをした。
いつものごとく看護師さんの忍び足が、部屋に入るのが分かったのだが、なかなか外に出て行ってくれない。
寝たふりがバレているのか?と思ったが、そのまま私はピクリとも動かず、必死に寝たふりしていた。
すると今度は足音無しに、わたしの腰のあたりを五本指でさわっている感触がする。そのうち上半身だけ金縛りにあった。
間違いない、これは看護師さんじゃない。
私はナント鈍いのだろうか?しかし触っているのは生きている人間じゃない!さすがにそれが分かると怖い!!
思わず地蔵真言を、開かない口を必死に動かして三回繰り返し唱えた。
金縛りは解け、辺りを怖々と見渡すとそこには誰もいなかった。
オマケ。
この話を隊長にしたら、「そのオバケにもっと腰をもんでもらったら良かったのに。」「途中でやめるな。もっともまんかい!」と笑っていた。
その上、「お前さんがいる階に大型トラックが突っ込んだらどうする?ISISだぜ?」「しかも非常階段を登ってきたら?」
隊長、シュールすぎてついていけません。というか、私を心配してくれないの?!
タグ :ナイト スピリチュアル
2016年07月16日
愛について考察する

暑中見舞い申し上げます。
「愛」についての考察。
愛にも色々ある。例を挙げるならば親子関係の愛、友人関係の愛、男女関係の愛、そして神さまと自分の間の愛など。
その全てに共通するものは「喜び」ではないか?と思う。
相手を愛する喜び、愛される喜び。
そして、それをも超越する愛も存在する。
神さまから与えられる愛。
私たちがそうであるように、神さまも私たちが神さまを愛することを喜びとされるのだろう。
だが、神さまはただただ、無償の愛を与えて下さる。
真の意味で見返りを求めていない、究極の愛である。
これを私たちが実行するのは、かなり難しいのではないかと思う。
人間、やはりどこか他人や神さまに認めて欲しいという願望が少なからずあるのではないか?
だから見返りを求めない「奉仕」がなかなか実行できない、続かないのではなかろうか?
「奉仕」は「ボランティア」とは全く異なる。
「奉仕」に見返りを求める心はない。
独りよがりになるので、「喜び」さえ求めない…それが「奉仕」という「愛」の形である。
タグ :ナイト スピリチュアル
2016年06月04日
初めてのオーラソーマ体験

オーラソーマというカラーセラピーを受けました。
オーラソーマとは?
http://d.hatena.ne.jp/keywordtouch/%A5%AA%A1%BC%A5%E9%A5%BD%A1%BC%A5%DE
【1983年、イギリスの女性ヴィッキー・ウォールによって創始された、カラーセラピーの手法の一つ。日本では、1995年頃から一般的に利用されるようになった。
上下2層に分かれた100本以上※のカラーボトルの中から直感で4本を選び、そのボトルから、心理状態、才能、未来の可能性などを知る手法。人間界(色彩)・植物界・鉱物界の3つの要素を持っている。
現在オーラソーマは、個人の意識の進化と個性を引き出す色彩を超えたツールとして位置づけられ、ボトルのほか様々なプロダクツとともに「カラーケアシステム」と呼ばれ、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアをはじめ世界各国に広まっている。
※2006年3月8日現在、全106本。最新のボトルは B105コーラル/コーラル「大天使アズラエル」
カラーボトル
正式名称は「イクイリブリアムボトル」
ボトル1つ1つに名前とナンバーが付され、それぞれに色彩を超えた特徴的な意味があり、カバラ、数秘術、タロット、占星術、易学などと関連付けられている。ボトルの中身は、上層が油分、下層が水分で、バイオダイナミック農法により栽培された植物のエッセンシャルオイルやハーブの抽出液、鉱物とその波動、自然の色が含まれる。
ボトルの上層部は顕在意識を、下層部は潜在意識を表している。
選んだ4本のボトルが持つ意味
<1本目> 魂のボトル 人生の目的や使命を表す。
<2本目> ギフトのボトル 魂が取り組む準備ができた課題。学びはギフトとなり才能へと開花する。
<3本目> 今ここのボトル 人生において今現在どのような地点にいるかを表す。
<4本目> 未来のボトル 未来の可能性。今すぐ手にすることができるエネルギー。】
確かに当たってるなあ~。最後の苦味を甘味に…というのは、オリーブを指しているそうで。
また私は今から脱皮して、新たな何かを求めている、或いは新しくなるそうです。
う~ん。参りました。
タグ :ナイト スピリチュアル
2016年03月30日
視界の端に一瞬視える?
私ナイトの場合。
「隊長~。今日、チョロッと黒い顔みたいなの見た~。」
隊長「おう!よくこの横っちょに視えるよな」と、両目の端っこを指差した。
「え!何で端っこに視えたって、分かったの??」
「だって俺も端っこに視えることあるもん。」
あ~、隊長には、いつもバレバレだなあ~。そして、明らかに私ナイトと違うのは、視えてる心霊の数も回数も遥かに多いってこと。
でも、敢えてあそこでみた、ここでみた、と騒ぎ立てないところが、慣れなのか?何なのかは分かりませんが、尊敬できるところです。
「下手にあそこに視えたって言っても、お前さんを怖がらせるだけだろ?」
はい。正にその通りです。私に関係ない心霊がいるのが分かったとしても、ただ私が怖がるだけで、何の得にもなりません。
だからといっては何ですが、私ナイトも、地元民にすぐに分かるような表現は、避けようと思います。(地元民じゃない方にも分からないようにこれからは、配慮致します!)
ん~、隊長のことを知れば知るほど、その心遣いには感心します。恐れ入った!
「隊長~。今日、チョロッと黒い顔みたいなの見た~。」
隊長「おう!よくこの横っちょに視えるよな」と、両目の端っこを指差した。
「え!何で端っこに視えたって、分かったの??」
「だって俺も端っこに視えることあるもん。」
あ~、隊長には、いつもバレバレだなあ~。そして、明らかに私ナイトと違うのは、視えてる心霊の数も回数も遥かに多いってこと。
でも、敢えてあそこでみた、ここでみた、と騒ぎ立てないところが、慣れなのか?何なのかは分かりませんが、尊敬できるところです。
「下手にあそこに視えたって言っても、お前さんを怖がらせるだけだろ?」
はい。正にその通りです。私に関係ない心霊がいるのが分かったとしても、ただ私が怖がるだけで、何の得にもなりません。
だからといっては何ですが、私ナイトも、地元民にすぐに分かるような表現は、避けようと思います。(地元民じゃない方にも分からないようにこれからは、配慮致します!)
ん~、隊長のことを知れば知るほど、その心遣いには感心します。恐れ入った!
タグ :ナイト スピリチュアル
2016年03月27日
3月25日の夜に起きた不思議なこと

それは、3月25日の夜だった。私は隊長に今生の別れを電話で述べている時だった。
隊長は、何とか止めようと必死だった。それでも私は、かけている保険の受取人になってくれだとか、もう半端なく酷いことを淡々と口にしていた…
そんな内容の話し合いが一時間も続いた頃だろうか、私がいた部屋の電気が急に消えた!
私は叫んだ。「電気が消えた!真っ暗だ!」
私のいた部屋の電気はLED。すぐさま私はリモコンでその電気を付けた。ほんの数秒間の出来事だった。
隊長が静かに電話口で言った。
「ほら、お前のおばあちゃんだ」
私はハッとした。私の大好きだったおばあちゃんが、何かを知らせている!
そう。私の祖母(故人)は、孫である私を今でも護ってくれてたのだ。あらゆる、良くないモノから。
危うく魔に取り込まれそうになっていた私は、祖母を始め隊長、白菊さん(電源を落とす時間設定をされたらしい)達のお陰で、無事にまだこの世に生きている。
この世は真に辛いこと、悲しいことが多いのだが、それでも、それだからこそ、負けずに生きていかなければならないと感じた日だった。
因みに、わたしを取り込み損なった魔の地団駄だろうか、隊長と祖母と白菊さんにお礼を述べた後まで、家鳴りがひどかった。(隊長曰わく、もう私に手出しは出来ないから、安心して休むよう)
近々、お墓参りにいかなければ。
タグ :ナイト スピリチュアル
2016年03月18日
プロは自己満足では終わらない
アマチュアとプロフェッショナルの違いとは?程度に違いはあれ、アマチュアは「素人」であり、プロフェッショナルは「玄人」である。
アマチュアの世界では、自分が楽しむ程度の事が多く、所謂「仕事」としては成り立っていない。
しかし、プロフェッショナルはそれを「仕事」として、成り立たせなければならない。
この違いは、アマは自己満足で済ませられるが、プロは自己満足では終わらないということだ。
そしてよくよく思い起こして欲しい。プロにはアマに無い「責任」があるのだ。
そこに、やりっぱなしの逃げ場はない。
隊長は霊能者のプロとして、確固たる信念を持っている。彼の霊能者としての辞書には恐らく「中途半端」「自己満足」という言葉はないはずだ。
それが、私(ナイト)が隊長から、プロとしての心構えとして感じ取った事である。
アマチュアの世界では、自分が楽しむ程度の事が多く、所謂「仕事」としては成り立っていない。
しかし、プロフェッショナルはそれを「仕事」として、成り立たせなければならない。
この違いは、アマは自己満足で済ませられるが、プロは自己満足では終わらないということだ。
そしてよくよく思い起こして欲しい。プロにはアマに無い「責任」があるのだ。
そこに、やりっぱなしの逃げ場はない。
隊長は霊能者のプロとして、確固たる信念を持っている。彼の霊能者としての辞書には恐らく「中途半端」「自己満足」という言葉はないはずだ。
それが、私(ナイト)が隊長から、プロとしての心構えとして感じ取った事である。
タグ :スピリチュアル
2015年11月05日
信仰心について思うこと やはり隊長はスゴい!

隊長は凄く信仰篤い人であるのは言うまでもない。
隊長は「下も見えないほどの谷間に一本のロープが渡してあったとする。そこを俺が歩いて渡っても大丈夫と神さま(白菊さん)がいうなら、一瞬の躊躇もなく俺は渡る。」と、言っていた。
私はまだまだ、ここまでの信心を持つに至ってはいない。やはり怖いと思うだろうから。一瞬でも怖いと思うこと=まだ信心足らないと言ってよい。
神さまを実際に試すことはいけないと思うが、己の信仰心をより高みへと目指す修行は大事なのではなかろうか?
私も今まで以上に、信心深めるべく修行し、心清く生きていきたいと思う。
タグ :スピリチュアル ナイト
2015年11月04日
パワースポットはどこにある?
パワースポットとは本来はどこにあるのか?ということを、考察してみた。
確かに神社や仏閣、特定の地(自然界)には、何かしら清々しい、清らかな気に満ちていると、感じる人も少なくないだろう。
それは、清らかな気を放つ場所と、己自身がいかに清らかでないかということとの、表裏一体なのではないか?と、考えられる。
つまり、自分自身の穢れ(気枯れ)が、清らかな気に触れることにより、認識できるようになるということである。
と、なると、本来「パワースポット」と言われる場所は、自分自身の心の中にあるのではないか?
人が持つ感情(嫉妬、憎悪、傲慢)などから、解き放たれた清らかな心の中に、パワースポットは存在するのではないだろうか。
確かに神社や仏閣、特定の地(自然界)には、何かしら清々しい、清らかな気に満ちていると、感じる人も少なくないだろう。
それは、清らかな気を放つ場所と、己自身がいかに清らかでないかということとの、表裏一体なのではないか?と、考えられる。
つまり、自分自身の穢れ(気枯れ)が、清らかな気に触れることにより、認識できるようになるということである。
と、なると、本来「パワースポット」と言われる場所は、自分自身の心の中にあるのではないか?
人が持つ感情(嫉妬、憎悪、傲慢)などから、解き放たれた清らかな心の中に、パワースポットは存在するのではないだろうか。
タグ :スピリチュアル ナイト