2014年09月27日
隊長!私は心が折れそうになった…が…

私は約10万人に1人の確率で発症するという、血液の癌を患っている。
毎日、抗がん剤を飲んでいるのだが、ここ一年ばかり数値が良好なので、主治医から「詳しい遺伝子検査をしてみて、陰性だったら、後一年で抗がん剤治療止めることもできる。」との、提案があった。
毎日、嫌な想いで抗がん剤を飲み続けていた私は、すぐにその検査をお願いした。
そして勿論良い結果しか、私の頭の中にはなかった!
しかし、結果は4回検査して2回が陽性。つまり治っているとは言い難いものだった。
さすがにへこんだ。もう何もかも嫌になって人生投げ出したかった。
私の心は折れる寸前だった。悲しみと苛立ちと、そして絶望感。
それを全て隊長にぶつけた。
隊長は静かに言った。「少なくとも前よりも悪くはなってないだろう。」
確かに前は1日4錠飲んでいた、抗がん剤は2錠に減っていた。(種類はかわらず)
この薬につきものの、筋肉のこわばりも、余りない。確かに良くなりこそすれ、悪くはなってない。
「ご先祖さんのお陰だ!」
私の折れそうになった心は、また元気を取り戻した。
また、次があるさ!一所懸命生きていこう!希望は捨てずに。
~平成19年に告知を受けた時より、実はショックでした。治っていると、信じ込んでいたからです。今回この様な結果になりましたが、同じように病気に悩む方に、希望は捨てないで…という気持ちで一杯です~
2014年09月23日
下半身麻痺にならずにすみました
私は、4年前の春、事故をおこした。
外傷が酷く、腰椎第2番の圧迫骨折と、両踵骨の粉砕骨折という、大怪我を負った。
すぐに、近くの(当時)県立病院に運び込まれた。
しかしその病院では、腰椎の手術が出来ないと言われ、長崎大学病院への転院が検討された。
そして、激痛に耐え一週間後、遂に救急車による移送がなされた。
大学病院で数々の検査の後、教授回診があった。
私の足はもう動かなかったし、力もはいらなかった。腰椎をやられていたからである。
足を上げるどころか、足先まで、麻痺していた。
教授回診では、どれだけ足に力が入るかを、主に診察された。
結果、何とそれまでピクリともしなかった足が、ほんの少しだけうごいたのである。
他の先生方も見守る中、絶望視されつつあったのが、一転「動いた」との教授の一言により、病室に安堵の雰囲気が感じられた。
それから、4日後、10時間近い手術が行われ、
私は1年近くのリハビリ生活に入る…。
と、ここまで凄く順調にきたように書いたが、実は両親には担当医から「下半身麻痺になる可能性がある」と、術前告げられていた。
母親は、何となくそれを察していたようだが、父親はそれを聞いた時、涙を流したという。
後に隊長は言う。「君は下半身麻痺になってもおかしくなかった。でも、それを防いだのは、現代医学ばかりでなく、君のお祖母ちゃんだよ。」と。
私の祖母は、私が高校生の時に亡くなった。
朝からは必ず、仏壇と神棚に手を合わせるという、神仏への信仰厚き人だった。
勿論、隊長の守護神、白菊さんの力、隊長自身の祈りの力もあったと、チラッと聞いた。
しかし、隊長は私の祖母の力が大きいと、繰り返し言う。
隊長によれば、その祖母に何度も話しかけるが、寡黙といっていいくらい、何も語らないらしい。
だが、私は祖母を右手の甲で感じることができる。私が車の運転をするときは、特にふんわりと温かいのだ。
最初は、何かな?と思ったが、隊長に私の祖母が心配しているんだよ…と言われ、合点がいった。
さて、お墓参りに行くかな?
外傷が酷く、腰椎第2番の圧迫骨折と、両踵骨の粉砕骨折という、大怪我を負った。
すぐに、近くの(当時)県立病院に運び込まれた。
しかしその病院では、腰椎の手術が出来ないと言われ、長崎大学病院への転院が検討された。
そして、激痛に耐え一週間後、遂に救急車による移送がなされた。
大学病院で数々の検査の後、教授回診があった。
私の足はもう動かなかったし、力もはいらなかった。腰椎をやられていたからである。
足を上げるどころか、足先まで、麻痺していた。
教授回診では、どれだけ足に力が入るかを、主に診察された。
結果、何とそれまでピクリともしなかった足が、ほんの少しだけうごいたのである。
他の先生方も見守る中、絶望視されつつあったのが、一転「動いた」との教授の一言により、病室に安堵の雰囲気が感じられた。
それから、4日後、10時間近い手術が行われ、
私は1年近くのリハビリ生活に入る…。
と、ここまで凄く順調にきたように書いたが、実は両親には担当医から「下半身麻痺になる可能性がある」と、術前告げられていた。
母親は、何となくそれを察していたようだが、父親はそれを聞いた時、涙を流したという。
後に隊長は言う。「君は下半身麻痺になってもおかしくなかった。でも、それを防いだのは、現代医学ばかりでなく、君のお祖母ちゃんだよ。」と。
私の祖母は、私が高校生の時に亡くなった。
朝からは必ず、仏壇と神棚に手を合わせるという、神仏への信仰厚き人だった。
勿論、隊長の守護神、白菊さんの力、隊長自身の祈りの力もあったと、チラッと聞いた。
しかし、隊長は私の祖母の力が大きいと、繰り返し言う。
隊長によれば、その祖母に何度も話しかけるが、寡黙といっていいくらい、何も語らないらしい。
だが、私は祖母を右手の甲で感じることができる。私が車の運転をするときは、特にふんわりと温かいのだ。
最初は、何かな?と思ったが、隊長に私の祖母が心配しているんだよ…と言われ、合点がいった。
さて、お墓参りに行くかな?
2014年09月21日
久し振りの投稿~お日願~によせて
こちらのブログは、久し振りのまとまった内容の投稿となります。
9月23日は、お日願(おひがん)である。
お彼岸とは違うの?隊長!
神道では、お日願といい、こちらがオリジナルである。実際、仏教発祥の国インドでは、お彼岸という日はない。
では、神道でのお日願とは?
日本の農耕文化において、一年のうち、昼と夜が同じ長さである日を特別とし、豊作を感謝してお墓参りをする風習があった。
何故、お墓参りかというと、神道では神様に直接ではなく、ご先祖様を通して感謝するからである。
だから、お日願の日だけではなく、ご先祖様を大切にしなくてはならない。
9月23日は、お日願(おひがん)である。
お彼岸とは違うの?隊長!
神道では、お日願といい、こちらがオリジナルである。実際、仏教発祥の国インドでは、お彼岸という日はない。
では、神道でのお日願とは?
日本の農耕文化において、一年のうち、昼と夜が同じ長さである日を特別とし、豊作を感謝してお墓参りをする風習があった。
何故、お墓参りかというと、神道では神様に直接ではなく、ご先祖様を通して感謝するからである。
だから、お日願の日だけではなく、ご先祖様を大切にしなくてはならない。