2016年03月15日
隊長からの話し 「諦めの心」

私ナイトが、酷く精神的に辛いとき隊長にこんなことを聞いてみた。
「より楽で健全に生きるには、どうしたらいいかな?」
隊長は、教えてくれた。「一つのあり方として、『諦める』ことも大事だと思う」
「何もかも自分の思い通りになるという概念を捨てなくてはならない。」
なるほど。常に自分の思い通りになることは無いわけで、そういう傲慢さを捨てて諦めてみることにした。
思い上がった自分を見つめるきっかけになった。きっとそれが、整理された時ワンステップ成長できるだろう。
また、隊長は続けて「もしも、全く世の中に関心を持たない人間がいれば、凄く楽だろうな。お前の反対みたいな。」
「でも、そんな奴は後々ツケが回ってくるよ。だって、そんな好き勝手な生き方を世間が許すと思うかい?」
そりゃそうだ。世の中の出来事に全く興味を持たないことは、有る意味破滅的であると言えよう。
かといって、私ナイトのように世の中に同調しすぎても辛いことが、人並み以上にある。
損な性格である。
「お前さんは物事を全身全霊で受けとめることが多いな。時にはそれも必要だけど、いつもかつもでは、精神的に参るのは当たり前!
受け流すことも必要な時がある。」
と、隊長から指摘された。心が少し軽くなった。
やはりどんな時も中庸であること、つまりどちらにも偏らないバランス感覚が非常に大切なのだろう。
タグ :隊長 ナイト
2016年01月14日
隊長からの話し「この世に不必要な人間はいない」
昨日の隊長からのお話しから。
結論から言えば…
「世の中に不必要な人間はいない」
例えば、私がある人を非常に苦手として、なるべくなら避けたい関わりたくない必要としていないと、思っているとする。
でも、その人がいるおかげで、私は色んな恩恵を知らず知らずに受けているのだ。
どういうことかと言えば、私が、欲しい物を買う時、病気になった時、学ぼうとした時などに行く…
その私の行くお店や、病院、学校などは、もしかしたらその苦手とする人達がいなければ、存在していなかったかもしれないのだ。
大袈裟と思われそうだが、塵も積もれば山となる…と言ったところだ。他人が居て、初めて自分が居る。
日本とはそもそも、そういうお互い様で成り立っている国なのではないだろうか?
そうなれば、自分が嫌いであろうが、好きであろうが関係なしで、物事を考えなければならない。いつまでも、自己中心的では成長もしないし、人間関係もギクシャクしてしまう。
例えどんなに気にくわない人であっても、自分の存在価値を見いだす為には、その人の存在価値も認めざるを得ないのである。
その方法を簡単に言えば、その人の良いところを探すということだ。そして、お互い様、お陰様を忘れないこと。
「ジンザイ」 =人間という材(料)であり、人間という財(産)、人間の罪(産)ともいえる。
罪(産)をうまないような、人間の材(料)であり、財(産)となりたいものだ。
*しかし勿論、この記事は人間関係などの全てではなく、一つの案であることを附記しておく。
結論から言えば…
「世の中に不必要な人間はいない」
例えば、私がある人を非常に苦手として、なるべくなら避けたい関わりたくない必要としていないと、思っているとする。
でも、その人がいるおかげで、私は色んな恩恵を知らず知らずに受けているのだ。
どういうことかと言えば、私が、欲しい物を買う時、病気になった時、学ぼうとした時などに行く…
その私の行くお店や、病院、学校などは、もしかしたらその苦手とする人達がいなければ、存在していなかったかもしれないのだ。
大袈裟と思われそうだが、塵も積もれば山となる…と言ったところだ。他人が居て、初めて自分が居る。
日本とはそもそも、そういうお互い様で成り立っている国なのではないだろうか?
そうなれば、自分が嫌いであろうが、好きであろうが関係なしで、物事を考えなければならない。いつまでも、自己中心的では成長もしないし、人間関係もギクシャクしてしまう。
例えどんなに気にくわない人であっても、自分の存在価値を見いだす為には、その人の存在価値も認めざるを得ないのである。
その方法を簡単に言えば、その人の良いところを探すということだ。そして、お互い様、お陰様を忘れないこと。
「ジンザイ」 =人間という材(料)であり、人間という財(産)、人間の罪(産)ともいえる。
罪(産)をうまないような、人間の材(料)であり、財(産)となりたいものだ。
*しかし勿論、この記事は人間関係などの全てではなく、一つの案であることを附記しておく。
タグ :隊長 ナイト