2016年08月29日
2016年06月30日
お地蔵さま

私は血液の癌にかかっている。それはおよそ10万人に1~2人の割合で発症し、その原因は未だ不明。
その血液の癌の種類とは…??
私は風邪をひいたときなかなか治らず、たまたま血液検査を受けたら、写真の「国立長崎医療センター」血液内科受診を勧められ、平成19年11月『慢性骨髄性白血病』という診断が下された。
正常な人の白血球数が約5000~9000なのに対し、白血病の人の白血球数は治療前(発症後)において、時に10万を超える。
そして今の医学をしても完治させるのは、かなり難しい…そう、骨髄移植以外は…。一般的には、ただ進行を遅らせる為に抗がん剤の経口投与をされることが多い。
私もグリベックという抗がん剤を、日々飲み続けている。そう、平成19年11月から。
しかし今回の検査値に今までにない結果が出ている。
血液検査から遺伝子に異常がどれだけあるか?という、遺伝子検査があるのだが、発症後初めて「イジョウヲケンシュツセズ」という結果が出たのだ!
これには、主治医も驚いていた。
もっと驚く話しがある。隊長の御祖母様も、今から約60年ほど前に『慢性骨髄性白血病』になってしまった…。
そして病は進行し(当時何も治療法はなかった)、御祖母様はとうとう高熱を出して寝ていた時、枕元にお地蔵さまが現れ、「お前はまだ死ぬのは早い。お前に命を預けるから、出来る限りの人々を救済
しなさい。」と、告げられて目を覚ますとすっかり熱は下がっていたのである。
そしてその話しを、隊長の御祖父様に話すといたく感激した御祖父様は、毎年8月23日の地蔵盆の日にそのお地蔵さまを感謝を込めておまつりするようになった。
今もその行事は続いている。そしてそのお地蔵さまの話しを耳にした悩める人々が、全国より参拝しに来ている。
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2015年03月27日
隊長!あの日の枯れ葉って(*_*;?霊だったの?

とある日の夜、隊長の車の助手席に乗っていた私は、車道に転がってきた「枯れ葉」に似た、黒いモノを見た。
それが中央線まで転がってきて、丁度、隊長運転の車に轢かれそうになったので、「おぅ
」と、おもわず言ってしまった。
すると隊長が、すかさず「今のまっくろくろすけ、見たなあ?今のまっくろくろすけ、見たなあ?」と、私に聞いてきた。
私は「うん。見たけどあれ枯れ葉だよね。」
と、答えた。
「あれはなあ、まっくろくろすけでも、枯れ葉でもなく、霊(オバケ)だよ。」
「…。」
「あれは、意志すらもう持たない、上がれなかった霊魂のなれの果てだよ。」
「…。」
「枯れ葉じゃなかったの?枯れ葉じゃなかったの?」と、あくまで言い張る私。
「時々、霧みたいなのもいるよな。まあ、俺なら、高速道路の車道上にいても、あっさり通過する(突っ込んでいく)けどね。」
「…。良かった、私、霧みたいなの見えなくて。見えてたら、私のことだ、必ずジコってるよ。」と、それを聞いて思った。
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2015年03月23日
隊長!ある夜に遭遇したものとは!!

ナイトが夜遭遇!やっちゃ怖かったある出来事。
2014年07月23日
とある、夜遅く。
私はアパートを徒歩で外出していた。
そして帰宅するため、アパートの駐車場を通り、部屋に入ろうとしたのだが…。
その時、駐車している一台の車から、白い顔をした、セミロングの女性が、窓ガラス越しにこちらをみているのに気付いた。
私も、その女性を見つめて、何故いつまでもエンジンかけたり、或いは降りたりしないのだろう…とか思って立ち止まってしまった。
しかし、なかなか発進すらしないので、変だなと思いながら、部屋に入った。
そして、その事をすぐに、知人に話した所、知人は顔色を変え「お前、その女と目を合わせたか?」と、聞いてきたので、私は「見つめ合ったよ」と答えた。
「生き霊だ」
知人の口から出た言葉。
ええっ?
ああ、確かに真っ暗闇の駐車場の車の中に顔が見えるとか、おかしいな?と初めて気付いた。
そして、その女性に私は心当たりがあった。
すぐに、知人は祓ってくれた。
その生き霊は私に対する、執着心から現れたものと聞いた。
やっちゃ怖かった。
*知人=隊長です。また、この内容は別のブログからの再掲です。
タグ :スピリチュアル 隊長 ナイト
2015年03月22日
隊長!ひがんとは?!

ひがんは、元来日願という。
日願の中日を春分の日、秋分の日とし、その前後3日間は日願の期間、つまり日願は7日間あるのだ。
そして、その日願の期間中に、先祖の墓参りをすることが多い。
それは、昼との長さが同じになる、つまり太陽への感謝と、日頃私達を見守っている先祖に対する感謝と、五穀豊穣のねがいのあらわれである。
そしてこれは日本人の霊魂観に基づく。
人が亡くなれば、その肉体は滅びてしまうが、魂は一体どうなるのだろうか。
神道で少なくともいえることは、亡き人の魂はいつまでもこの土地に留まって、愛しい人や子孫とともに生き、その幸せを見守ってくれるということ。
つまりは、こちらからは向こうの世界が見えないけれど、向こうからはこちらの世界がよく見える。そんな所に魂が移ったと考えれば分かり易いのではないだろうか。それが神道の霊魂観である。
因みに、神道では亡き人の行く世界を「幽世(かくりよ)」「黄泉国(よみのくに)」「常世国(とこよのくに)」といった呼び方をしている。
聖徳太子の時代、仏教は保護され興隆していった。そして仏教は神道に歩み寄り、神仏混交となってしまった。
初めは、神道が優勢だったがそのうち逆転して、平安時代中期になると、とうとう日本の神々というのは、元を正せばみな仏が人々を救う為に現れた仮の姿であったという思想がでてきた。
しかし、江戸時代になると神道に日本古来の古典を純粋に見直そうという学者たちが現れた。
彼らはそれを、古道とか惟神(かむながら)の道と呼んでいたらしい。(現在はそれを復古神道という)
復古神道の学者には、契沖(けいちゅう)、荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)らが、有名であろう。
この機会に日本人としてのアイデンティティーを探って確認してみては如何だろうか?
タグ :隊長 ナイト スピリチュアル
2015年02月05日
隊長と唐揚げと…②山寺?

大分県中津市にある、羅漢寺のリフト券。本堂などは撮影禁止でしたので、これしかありません(泣)
隊長が教えてくれました。
「羅漢寺はなあ~、次に行く青の洞門を掘った禅海和尚がいたところだ。」
「見ろ、まるでマチュピチュのように、山の中腹にこんな凄い造りの建物があるんだ。」
本堂に行く途中、お願いごとを書いた沢山のシャモジが打ちつけられた、建物がありました。
モノがシャモジなだけに、「すくう」という意味があるらしいです。
羅漢寺には、3700体を越す羅漢がまつられていて、その中には必ず自分と似ている羅漢さんがあるとか。
確かに羅漢さんはそれぞれ、違う顔つきでした。
今は曹洞宗の寺院になっていますが、その歴史は古く、国の文化財になったそうです。
かのキリシタン大名、大友宗鱗が焼き討ちしようとしたとき、本堂下の龍の石像の目が光り、大友氏の軍勢を追い払ったという、逸話もあります。
タグ :隊長 ナイト
2015年02月04日
2015年02月03日
2014年10月25日
苦手をなくす「言霊」

人生において、ああこの人ちょっと苦手だな、と思うことが誰しも一度位はあるだろう。
そのような場合、自分で苦手を作っている可能性がある。
例えば学校等、集団生活を送る場合において、自分にとって目線で話せるか、以下の人たちとは仲よしと、心の中で定義づける傾向がある。
逆に、普段話をしない相手や接点が重ならない相手を、やや苦手とする傾向がある。
実は、自分が仲がいいと思っている人たちの中には、私に対し苦手意識を持つ者もいるかもしれない。
また、自分が苦手と思っている人たちの中には、私に対し友好的である可能性を持つ者もいるかもしれない。
このように、自分の苦手意識の思い込みにより、私に対して全く苦手意識を持っていない人でも、私の決めつけが苦手を増幅させる可能性もあるかもしれない。
これを克服できる手段の一つが、言霊である。
意識、無意識に関わらず、苦手な相手に周りを通じて、苦手という言霊を発している可能性もある。
対人関係とは、全部ではないが大体は鏡である。
私が見る相手の態度は、実は私が相手に対している態度なのかもしれない。
その改善の為の方法の一つに、やはり言霊がある。
普段から私が苦手な人も含め、幸せになるべく言霊を発していれば、苦手と思う人のみならず、周りの人たちにも良い傾向が現れる。
周りの人たちの私に接する態度が、明確に変わってくるのではないだろうか。
神道的言霊の解釈で述べたが、私の良く知る宗教では、「汝、隣人を愛せよ。」と端的に現されている。
このように教えとは、隣人を愛せよという言霊にあるのではないだろうか。
個人の苦手が国家の存亡に関わることもあれば、個人の言霊が国家間の争いごとさえ無くしてしまう事もある。
タグ :隊長 スピリチュアル
2014年09月23日
下半身麻痺にならずにすみました
私は、4年前の春、事故をおこした。
外傷が酷く、腰椎第2番の圧迫骨折と、両踵骨の粉砕骨折という、大怪我を負った。
すぐに、近くの(当時)県立病院に運び込まれた。
しかしその病院では、腰椎の手術が出来ないと言われ、長崎大学病院への転院が検討された。
そして、激痛に耐え一週間後、遂に救急車による移送がなされた。
大学病院で数々の検査の後、教授回診があった。
私の足はもう動かなかったし、力もはいらなかった。腰椎をやられていたからである。
足を上げるどころか、足先まで、麻痺していた。
教授回診では、どれだけ足に力が入るかを、主に診察された。
結果、何とそれまでピクリともしなかった足が、ほんの少しだけうごいたのである。
他の先生方も見守る中、絶望視されつつあったのが、一転「動いた」との教授の一言により、病室に安堵の雰囲気が感じられた。
それから、4日後、10時間近い手術が行われ、
私は1年近くのリハビリ生活に入る…。
と、ここまで凄く順調にきたように書いたが、実は両親には担当医から「下半身麻痺になる可能性がある」と、術前告げられていた。
母親は、何となくそれを察していたようだが、父親はそれを聞いた時、涙を流したという。
後に隊長は言う。「君は下半身麻痺になってもおかしくなかった。でも、それを防いだのは、現代医学ばかりでなく、君のお祖母ちゃんだよ。」と。
私の祖母は、私が高校生の時に亡くなった。
朝からは必ず、仏壇と神棚に手を合わせるという、神仏への信仰厚き人だった。
勿論、隊長の守護神、白菊さんの力、隊長自身の祈りの力もあったと、チラッと聞いた。
しかし、隊長は私の祖母の力が大きいと、繰り返し言う。
隊長によれば、その祖母に何度も話しかけるが、寡黙といっていいくらい、何も語らないらしい。
だが、私は祖母を右手の甲で感じることができる。私が車の運転をするときは、特にふんわりと温かいのだ。
最初は、何かな?と思ったが、隊長に私の祖母が心配しているんだよ…と言われ、合点がいった。
さて、お墓参りに行くかな?
外傷が酷く、腰椎第2番の圧迫骨折と、両踵骨の粉砕骨折という、大怪我を負った。
すぐに、近くの(当時)県立病院に運び込まれた。
しかしその病院では、腰椎の手術が出来ないと言われ、長崎大学病院への転院が検討された。
そして、激痛に耐え一週間後、遂に救急車による移送がなされた。
大学病院で数々の検査の後、教授回診があった。
私の足はもう動かなかったし、力もはいらなかった。腰椎をやられていたからである。
足を上げるどころか、足先まで、麻痺していた。
教授回診では、どれだけ足に力が入るかを、主に診察された。
結果、何とそれまでピクリともしなかった足が、ほんの少しだけうごいたのである。
他の先生方も見守る中、絶望視されつつあったのが、一転「動いた」との教授の一言により、病室に安堵の雰囲気が感じられた。
それから、4日後、10時間近い手術が行われ、
私は1年近くのリハビリ生活に入る…。
と、ここまで凄く順調にきたように書いたが、実は両親には担当医から「下半身麻痺になる可能性がある」と、術前告げられていた。
母親は、何となくそれを察していたようだが、父親はそれを聞いた時、涙を流したという。
後に隊長は言う。「君は下半身麻痺になってもおかしくなかった。でも、それを防いだのは、現代医学ばかりでなく、君のお祖母ちゃんだよ。」と。
私の祖母は、私が高校生の時に亡くなった。
朝からは必ず、仏壇と神棚に手を合わせるという、神仏への信仰厚き人だった。
勿論、隊長の守護神、白菊さんの力、隊長自身の祈りの力もあったと、チラッと聞いた。
しかし、隊長は私の祖母の力が大きいと、繰り返し言う。
隊長によれば、その祖母に何度も話しかけるが、寡黙といっていいくらい、何も語らないらしい。
だが、私は祖母を右手の甲で感じることができる。私が車の運転をするときは、特にふんわりと温かいのだ。
最初は、何かな?と思ったが、隊長に私の祖母が心配しているんだよ…と言われ、合点がいった。
さて、お墓参りに行くかな?