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2015年03月31日

隊長!ナイト!今日の釣果だ!





本日の釣果。






真鯛は約40cmと約25cmの二枚でした。


後は、アジが沢山!


真鯛の大きい方は雄です。少しおでこが、出てきています。



ちなみに、祝い事にはこの雄の鯛を使うそうです。  


Posted by blacknight at 17:15Comments(0)釣り 隊長

2015年03月27日

隊長!あの日の枯れ葉って(*_*;?霊だったの?








とある日の夜、隊長の車の助手席に乗っていた私は、車道に転がってきた「枯れ葉」に似た、黒いモノを見た。






それが中央線まで転がってきて、丁度、隊長運転の車に轢かれそうになったので、「おぅ
」と、おもわず言ってしまった。





すると隊長が、すかさず「今のまっくろくろすけ、見たなあ?今のまっくろくろすけ、見たなあ?」と、私に聞いてきた。
私は「うん。見たけどあれ枯れ葉だよね。」
と、答えた。






「あれはなあ、まっくろくろすけでも、枯れ葉でもなく、霊(オバケ)だよ。」






「…。」






「あれは、意志すらもう持たない、上がれなかった霊魂のなれの果てだよ。」






「…。」






「枯れ葉じゃなかったの?枯れ葉じゃなかったの?」と、あくまで言い張る私。






「時々、霧みたいなのもいるよな。まあ、俺なら、高速道路の車道上にいても、あっさり通過する(突っ込んでいく)けどね。」





「…。良かった、私、霧みたいなの見えなくて。見えてたら、私のことだ、必ずジコってるよ。」と、それを聞いて思った。  


2015年03月23日

隊長!ある夜に遭遇したものとは!!





ナイトが夜遭遇!やっちゃ怖かったある出来事。

2014年07月23日

とある、夜遅く。


私はアパートを徒歩で外出していた。



そして帰宅するため、アパートの駐車場を通り、部屋に入ろうとしたのだが…。




その時、駐車している一台の車から、白い顔をした、セミロングの女性が、窓ガラス越しにこちらをみているのに気付いた。




私も、その女性を見つめて、何故いつまでもエンジンかけたり、或いは降りたりしないのだろう…とか思って立ち止まってしまった。




しかし、なかなか発進すらしないので、変だなと思いながら、部屋に入った。






そして、その事をすぐに、知人に話した所、知人は顔色を変え「お前、その女と目を合わせたか?」と、聞いてきたので、私は「見つめ合ったよ」と答えた。





「生き霊だ」






知人の口から出た言葉。





ええっ?




ああ、確かに真っ暗闇の駐車場の車の中に顔が見えるとか、おかしいな?と初めて気付いた。





そして、その女性に私は心当たりがあった。





すぐに、知人は祓ってくれた。





その生き霊は私に対する、執着心から現れたものと聞いた。






やっちゃ怖かった。



*知人=隊長です。また、この内容は別のブログからの再掲です。  


2015年03月22日

隊長!ひがんとは?!





ひがんは、元来日願という。




日願の中日を春分の日、秋分の日とし、その前後3日間は日願の期間、つまり日願は7日間あるのだ。






そして、その日願の期間中に、先祖の墓参りをすることが多い。






それは、昼との長さが同じになる、つまり太陽への感謝と、日頃私達を見守っている先祖に対する感謝と、五穀豊穣のねがいのあらわれである。






そしてこれは日本人の霊魂観に基づく。

人が亡くなれば、その肉体は滅びてしまうが、魂は一体どうなるのだろうか。





神道で少なくともいえることは、亡き人の魂はいつまでもこの土地に留まって、愛しい人や子孫とともに生き、その幸せを見守ってくれるということ。






つまりは、こちらからは向こうの世界が見えないけれど、向こうからはこちらの世界がよく見える。そんな所に魂が移ったと考えれば分かり易いのではないだろうか。それが神道の霊魂観である。





因みに、神道では亡き人の行く世界を「幽世(かくりよ)」「黄泉国(よみのくに)」「常世国(とこよのくに)」といった呼び方をしている。







聖徳太子の時代、仏教は保護され興隆していった。そして仏教は神道に歩み寄り、神仏混交となってしまった。




初めは、神道が優勢だったがそのうち逆転して、平安時代中期になると、とうとう日本の神々というのは、元を正せばみな仏が人々を救う為に現れた仮の姿であったという思想がでてきた。






しかし、江戸時代になると神道に日本古来の古典を純粋に見直そうという学者たちが現れた。






彼らはそれを、古道とか惟神(かむながら)の道と呼んでいたらしい。(現在はそれを復古神道という)






復古神道の学者には、契沖(けいちゅう)、荷田春満(かだのあずままろ)、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)らが、有名であろう。





この機会に日本人としてのアイデンティティーを探って確認してみては如何だろうか?