2014年05月10日
第三回隊長講演会 講演録④ 自分を作りなおす編

第三回隊長講演会 講演録(4)
2014年03月03日
あの、戒名って、仏教のね。お葬式仏教でされる方、大半じゃないです?
戒名すると、しますよね?お金結構掛かるの知ってます?
寺請制度ってのが昔あって、江戸時代くらいには、あのお寺に登録しないとお葬式が挙げられなかったんですよ。これは他の宗教を締め出すための方策なんですねぇ。
天台宗の、あの南海坊天海っちゅうおっさんが考え出した必殺技で、で、それから、やたら高くなったんですよ、法名代が。なんでかって言ったら、言い値だもの。
でも、明治維新以降に一回棄釈廃仏令ってのができたの、知ってます?棄釈廃仏令つって、あの、仏教の仏さん全て潰しちゃえって話になったんですよ。
だけどあまりにも信者が多いおかげで復帰したんですね。その時にちょうど国家神道が台頭してきて、国がおかしな方向に進んでって話があって、ちょうどね。
各々の宗教や各々の考えは悪くないんですよ。
人のこと、人の幸せを考えて考えてるのに、それを別な方向でとらえて、別な方向に進めている人たちが悪いんです、基本的にね。
もう一つは受ける側が誰かのせいにしようって考えてるのが悪いんです。楽ですよ。誰かのせいにすりゃ。俺のせいじゃないよ、誰かがこうしたんだからって思えたら楽ですよ。
違います。あなたのせいです。あなたのせい。
て、思えば考えが変わります。でしょ?すごい手厳しい言い方になのかもしれないけど。
一番それが、お子さんに対する模範にもなるし、親に対する模範にもなるんですよ。
あの人は性格が最近変ってきたねぇって言われる所以になるかもしれない。
そうですよね。いいじゃないですか、それで。いい方向に進んでるだから。そう思うんですけどねぇ。
もっとおどろおどろしい話をしようかなと思ってたんだけど。
ねぇ、なんか話聞いていたら勘違いしてる人の方が多いのかなぁって思ってですよ。
誰かのせいにするのは本当に楽なんですよ。前世のせいにするのも楽ですよ、正直。
はぁ~前世がそうだったからね、って今世の私はすごくいい人だもんねって、いい人なら前世の悪口言わないです(笑)そうでしょ?
その頃はその頃で一生懸命やってたと思いますよ、俺は。多分、間違いなりにね。
でも今はいい状況になってさっきみたいに、メキシコの親なし子に比べたら、まだまともな生活を送っている我々なんだから、当然偉そうな話ができますよ。
これが、食うに食われぬ世界だったら酷いことやってんじゃないの?大根を盗って食ってみたりとか・・・・しななきゃならない時代もあったはずですよ、過去にね。
それは反省すべき内容でもあるのかもしれないけど、でも逆の言い方すれば時勢がそうさせる部分もあったんでしょ。だから、その時はその時で一生懸命な人生を送ったはずなんですよ。
それを否定するような話はしないで。
それは今、自分が生きていく上において、さほど必要なものじゃないから。だと思うんですよね。
でも、偉い先生方がたまにそういう話をされた時は耳を傾けて。
それはどういうことかって言ったら、戒めとしてちゃんと言ってるんだから、ちゃんと聞かなきゃ駄目ってことです。
そうやって言わないとわからない人も中にはいるんだから。
それはそうやって言わないとわからない人の心の問題で、その人の責任です、やっぱり。
そうやって言わずともわかるような状態を自分で作るべきなに、そうしてない結果、そうなったって思ってください。
だから、やっぱり考え方を変えればなんとかなるんですね。
まあ、そう言ってる僕ができてるのか、おまえはって言ったら・・・九割くらいできてないですけどね(笑)
好き勝手やって、そんな立派な生活してたらこんなに横に太くなりません、人間(笑)
もっと頬がこけてから、ねぇ、うつろな目をして偉い話をしています、もっと。まぁ、現実重視な人間だから。
ええ、一応、これでもお祓いは行ってるんですよ。
仕事だから。
でも、そういう人たちもやっぱり積み重ねた驕りがあっての話よ。ずっと驕りがある。ご先祖さんから。気が付かない、自分は悪くないと思っている。
それ考え方変えないんだったら我々がいくら言ったって何やったって無駄だ。その場は対処療法としてロキソニン飲んで、頭痛止めるようなもんだわ。
ねぇ、だけど頭痛の根本的な原因を取り除いてやらないことには治らないでしょ?
百ぐらいの事象が固まって初めて最後に爆発して、そういう状態が起きるんですよ。わかります?
だけど二、三個外してやったら、そんな事象は起きないんです。逆言えばね。
その最もたるものが何かって言ったら本人なんです。本人変えると変るんですよ、状況。意外と。
脅すの、だから。子供にきますよとかって言って。来ないけどね。
したら、あぁ、それはしないとって思うでしょ?なにかのせいにしてあげるのも一つの手だからね。
そういうふうなこともします。本心から言えばそれは関係ないけどね、本当は。
だから、そういう先生方もそういう手を使う時もある。
でも自分でそういうのがわかってても、あえて聞かなきゃいけないのは自分がそういう話をストレートに素直に聞き入れられない自分だから、あえてそういうふうに言われているんだって認識しなきゃいけない、逆に。
そのぐらいの考えがないと、変えられない自分を。でしょ?と思う。
なんでこんな話をしたかというと自分の人生でも起こりうることだから。
でもそれは誰かがそうさせた訳じゃなくて自分が招いたんだっていうふうに考えて欲しいからですね。
そうならないための方法を自分でやらなきゃいけないんですよということ。
そうするためにはどうしたらいいのかって言ったら、さっき言ったみたいな話。
周りの人間に接する自分を作り直す、ねぇ、できることならお墓参り行ったり、ご先祖さんを敬うような気持ちになってもらったりっていうのが俺の願うところだけど、だけど、それがかなわないんだったら、それに類似する何かをしてくれないかなと思います、少しはね。
最近廃れてきているからさ。
散骨とかつってお骨を海に撒いてみたり。
我々は廃棄物じゃないんだから。
ねぇ、きれいな方法なのかもしれないけど、でも、子孫にしてみたら形あるものがそこに残らないんだったら、何に対して手を合わせていいんだって思う人もいると思うんですよ。
そういう人のこと、考えてるのかなぁと思う、たまに。あとあとでそういうふうになったりとかいう部分もあるでしょ。
田舎に帰るのが楽しみで墓参りに帰ってきている人もいるのかもしれないし。
中には、ま、便利が悪い。家族みんなで引っ越したから、お墓も移動してって人もいはするんだろうけど
、ま、それはそれでいいんだろうって思うけど。
まだ面倒見るつもりがあったりするんだからね。
でも、そういうのはやっぱり状況状況に応じてちゃんと話し合って、でも生きている人間の都合で死んでいる人間の状況を変えていくってことに変わりはないんだから、その辺のところを少し戒めの気持ちを持ってやって欲しいですよね。
言えない。しゃべれないっていうところが溜まれば、いずれはダムが決壊するがごとく、流れていきます。
何もないからって様子を見ながら溜めていくのは小学校で辞めましょう。
小学生はそうしますよね。怒られる限界を見届けようとするっていうか(笑)
大人はそういうことしちゃ駄目です。わかってんだからね。
始めから溜めないようにしないと、自分の世代でそれが来なくても、子供の代で来るかもしれない。
そうなった時に悔やんでも悔やみ切れないでしょ。
自分がご先祖さんになって、仮に上から見える状況になったとしよう。
それまで信じてなかったのに、実際見えるって、だけど誰も信じてくれないから助けることもできないのに、その子がどんどん不幸になっていったら気持ちいいでしょうか?
嫌でしょ?
だから、そういうのを踏まえて考えたらいいかな。この子達に何が残せるかなって思うのも大事だと思いますよ。
それが子供達、まぁ、特定のものに限らずね、奄美なら奄美の子供達のこれから先を考えたら、どういうふうにやってけばいいのかってふうに考えるのも、敗の遺産を残すよりは未来がある、そういう内容を残してったのがずっとためになるんじゃないですか。と思う。
この前、高千穂神社さんかなにかで行事が色々復活してきよるんでしょ?
なんか聞いたけど、篝火の行事が復活したんでしょう?すごくいいことだなと思いますよ。
そういうのも自分達の誇りとして敬って欲しいかな、少し。
まぁ、他宗教の方がおられて、そういうのは嫌だって人ものかもしれない。
無理強いするつもりはないけど、でも奄美のご先祖さん達がそうやってきている分もあるんでしょ、多少は。
俺はそういうご先祖さん達の考えは大事かなと思う。
未来の人たち、自分達の子孫がさ、不幸になってくれと思ってなんかやってる人はいないと思うよ、多分。
だけどそれの力になれないって悔やんでいる人も多いと思う。
なんでかって言ったら、一番力になるはずの信じてあげる人が信じてあげないんだったら、力になれないもの。
だから手を合わせてあげてねって、いつも頼むんですよ。
このくらい、なんていうか説明しないと多分理解してもらえない。
ただ、何か起きるから手を合わせなさいって言われても無理やろうな。
何のためにって思うでしょ?そうじゃないです。今みたいな話。
そこまで考えてください。そうしたら合わせなきゃならない理由は見えてくるでしょ?
(ご先祖様に手を)合わせてください。悪いことじゃないよ。
お墓に行くのが駄目だったらね、この前、小学生の男の子かな、家からお墓の方向いて手を合わせてもいいからって教えたら、おばあちゃんに教えたんだって。
足が痛いから拝みに行けないんだよって言ったから、おっちゃんがなんか言ってたよって。お墓のほう向いて手を合わせてもいいらしいよって。
それでもいいと思いますよ。気持ち。そこに信じるって気持ちが生まれる訳だから。
信頼と信用関係ってやつかな。
人間の信用ってさ、みなさんもご存知でしょ?
何十年かけて築き上げてきた信用を失うのは最初は三十分だって。
で、二回目の信用を得るのに必要な時間って十五年ないし二十年掛かるんだって。
で、それを失うの十分だって、今度は。三度目なんか、もう一生掛かるんですよ。
で、一生掛かって三度目の信用を築き上げたのを消すのは一分掛からないんだって。
交通違反みたいですね(笑)
大変。
そうならないようにするのも自分の務めでしょ。
周りの人に対する信用だけじゃなくて、ご先祖さんに対する信用。
ねぇ、自分の周りにいる親類に対する信用。神様に対する信用。
それぞれが自分に課せられた人生だから。
それを自分でどのように受け止めて進んでいくのかって、大事じゃないかなって思うんですけどね。
それを失うのは一瞬だよ。さっきも言いましたけど。
親戚とかなんとかならある程度は苦笑いで済ませてくれのかもしれないけど、他の人達だったらそうはいかない部分も出てくるかもしれないし。大変でしょ。
じゃ何かって言ったらコツコツやっていくことだね。コツコツ。
で、背中を見せてください。いろんな人に。自分のその姿を。大事かなって思います。
よく街中で一人だけ缶拾いの掃除とかしている人がいたら、あいつは変人だからだって言われる人もいるんですよね。
でも十人二十人でやったら変人じゃないでしょう?立派なボランティアだ。
ね、五十人六十人でやったら運動だ。
一人でやったら変人だ。
でも内容は変らないのよ。周りが認めるかどうか。
そういう寛大な心を持たなきゃ駄目なんです。だから自分も一緒にやってやろうじゃないの。
あの、変人だって言ってる人たちはね、自分がやるのは恥ずかしいから言ってるんだ、ほとんどは。
やってやれないことはないんだけど、気恥ずかしさとむず痒さがそういう台詞を呼ぶんだと思う。
これ。そういういらん気位の高いところは捨てましょう。いらない。
素直になればそれだけ自分にかえってくるものも大きくなるって思うんですね。
おどろおどろしい話をするのは簡単なんですよ。いくらでもいっぱい経験しているから言えばいいんだろうけど、それじゃ伝わらない。
ただ怖い思いをさせるだけでしょ?
じゃなくて、そういう時にどうすればいいのって方が大事じゃないですか。だから、今こうやって話をしてるんです。
で、勘違いがあるかもしれないから聞いてくださいって言ったの。
もし勘違いしてるなぁって思ったら、少し考え方を変えてくれれば、人生ちょっと変わってくるかな。
えぇ、もう六十過ぎだからとか言わないでくださいよ。関係ないですよ。八十でも九十でも関係ない。九十歳になって開眼して気が付く人もいます。
私の知り合いもおった。頭上がらんわ。でも、そこまで掛かったって。でもそこまで掛からずにできるんだったらいいじゃないですか。
ねぇ、遅いということはないんですよ。人生をすることにおいてね。
いつでもスタートなんです。この年になってって言わないでください。この年だからこそできることがあるって思う。そうでしょ?
むしろ若い子ができないぐらいよ。先がありすぎて見えないから何をやっていいかわからなくて目標が定まらなくて、できない。でしょ?
今の中学生、高校生に将来なりたいものはって聞いたら、本気で未来が応える子なんか一人もいませんよ。なんとなく応える。
人がそう言っているから、周りがそんな雰囲気だから。じゃないかな。
志を持ってやってる人ってあんまりいない。
でも我々は志を持ってやることができるんだから。
背中を見せていくってことが必要でしょ。
それは偉い話を聞かせてるんじゃなくて、背中を見せることかなぁって思うんですよ。
「志」って漢字を知っていますか?
武士の「士」に「心」って書きますね。武士の「士」は兵隊さんなんですよ、ただの。これじゃ駄目なの。
武士の「士」に「心」が入って「志」になるんですよ。
維新志士とかいたでしょ。明治維新した時の、あの人たちは夢を持って働いてた。だから兵隊ではなく、下に心があったのですね。
だから世の中を変えることができたんですよ。
あれが下に心が入ってない人たちだったら世の中変ってないと思う。どう思います?
維新志士になってくれませんか。子供のために。考え方をちょこっと変えて。前世の話もいいけどさ。って思うんです。
あと、なんかな。ほとんど終わったかな。内容は全部、今、ある程度質問事項みたいなことが書かれてから、それについての話を添えながら自分の意見をずっと述べてったんですよ。
私は、あの、前もって原稿作ったり、考えてから話したりしません。その場で話すんです。
だから話す時に話があちこち飛んだり、ちぐはぐになったりするんですね。
だけど降りてきた言葉しかしゃべれないんですよ、自分で。でも降りてきた言葉なら素直にしゃべれるし、伝わるって信じて言葉を出せるから。
だからおそらく聞いていただいてる方々は眠くならないでしょうし、飽きないと思うんですね。
だからいつもそれでやってます。果たして感動を与えられるのかは分からないけど。
今日もね、迷ったのよ。寸前まで降りてこなかったんです、全然。
だけどここに立った瞬間、降りてきた。みなさんの笑顔が見た。良かった。
来期呼んでいただけてしゃべれるかどうかもわからんし、思いつくかどうかもわからんし、ひょっとしたら糖尿病で死んどるかもしれんし、まぁ、最近足が痛いんですよね。危ないかなぁ。化けて出ますんでよろしくお願いします。祓わないでね(笑)
一応、そんなふうですね。よろしいでしょうか。
つたないお話で本当に申し訳ないです。
もっと突っ込んだ話をすべきだったのかもしれないけど今日はこういったかんじの話の方がいいって判断して言いました。
そういうふうな話を頂きました、正直。
半分以上自分の言葉じゃないです。でも多分、必要なことだと思ったので、この中に何人かそれを必要とされる方もおったと思うんで、言いました。以上です。
どうもありがとうございました。
(終)
Posted by 隊長講演会実行委員会 at 13:45
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Posted by blacknight at 02:41│Comments(0)
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