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2014年05月12日

隊長!怨霊って怖い!




最初に断っておきたい。


菅原道真は、今では学問の神さまとして、多くの信仰を集める人気ある神さまである…。




菅原 道眞(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。
官位は従二位・右大臣。
贈正一位・太政大臣。

忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。
しかし、左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ権帥として左遷され現地で没した。



菅原道真の死後、京には異変が相次ぐ。
まず道真の政敵藤原時平が延喜9年(909年)に39歳の若さで病死すると、醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥・延喜23年(923年)薨去)、次いでその息子で皇太孫となった慶頼王(時平の外孫・延長3年(925年)卒去)が次々に病死。

さらには延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。

これらを道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。
子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。





これらの怪異を京の人々が、道真の怨念によるものと考えたのは、想像するに難くない。

鬼神と化した怨霊を、鎮める術は余り無い。


逆転の発想として、怨霊を神格化することにより、鬼神としての怨霊の発揮より、信仰者に対する庇護の力を発揮する方向へと転換させる、日本独自の「奉る」という発想…


これは、他の天満宮分社などで、ごく稀にみられることもある。


祝詞の始まりは「かしこみかしこみまうす」である。

日本は神を尊び、畏れる国といえよう。







最後に京を去る時に、道真が詠んだ歌を紹介する。


東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな


*春の東風が吹くようになったら、花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ。 私(菅公)がいなくても、春を忘れないでいておくれ。  
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Posted by blacknight at 23:15Comments(2)スピリチュアル 隊長

2014年05月12日

隊長!私この詩に感動したぞ!




水野 源三(みずのげんぞう)  (1937年1月2日 - 1984年2月6日)は日本の詩人。


長野県埴科郡坂城町に生まれる。
9歳の時赤痢に罹りその高熱によって脳性麻痺を起こし、やがて目と耳の機能以外のすべてを失った。

話すことも書くことも出来なくなったが、母親が何とか彼と意思の疎通をしようと五十音順を指で指し示したところ、目の動きで応答した。

これが47歳で死去するまでの彼の唯一のコミュニケーション能力となる。

「瞬きの詩人」と呼ばれるようになったのはそのためである。




12歳の時母親がおいた聖書を読みやがてクリスチャンとなる。18歳の時からは詩作を開始し多くの作品を生み出す。その詩風は神への喜びを表し純粋である。









「今日一日も」

新聞のにおいに朝を感じ
冷たい水のうまさに夏を感じ
風鈴の音の涼しさに夕ぐれを感じ
かえるの声はっきりして夜を感じ
今日一日も終わりぬ
一つの事一つの事に
神さまの恵みと愛を感じて







*1975年 水野氏の母が逝去する



「まばたきでつづった詩」

口も手足もきかなくなった私を
二十八年間も
世話してくれた


良い詩をつくれるようにと
四季の花を
咲かせてくれた


まばたきでつづった
詩をひとつ残らず
ノートに書いておいてくれた


詩を書いてやれないのが
悲しいと言って
天国に召されていった


今も夢の中で
老眼鏡をかけ
書きつづけていてくれる




悲しみの中にありつつ、水野氏は義妹の力を借りて詩を書き続け、その死後も多くの人たちを感動させている。  


Posted by blacknight at 15:56Comments(0)ナイト